続 往復書簡を読む 内中倉
続 往復書簡を読む 内中倉
展示史料㉞は、高岡より回送されてきた史料㉛~㉝を受けての返信である。結婚は肉交にあらずして霊交なりとの議論に感服したとある後、世の中に理想的な婦人はいないため、男子が理想的な主人となり、その感化で理想の婦人を造る決心と覚悟が必要と考えており、更に今日の男子は自身の不徳を棚上げして婦人を攻めていると思われるが、孫三郎の意見を御結婚前に伺いたいとある。また、怒るなかれとはキリストの教訓であるが、これを不注意から来るとの孫三郎の所感に対し、十次は寝不足から来ると考えており、体を丈夫にして置かぬと罪を犯しやすいとしている。渡万君は高岡では少々頭痛の模様であったがこれも教育の一つであると触れた後、御結婚の日に帰岡する日程となり、「花ムコさんニアイニ行ク訳ニモ行クマイシ、花ムコさんが結婚早々御出岡なさる訳ニも行クマイシ、ヤハリ帰つても筆談デシヨウ」と今後もすぐには面談できないことを残念に感じている十次であった。
展示史料㉟㊱㊲の三連投の前に、展示を割愛せざるを得なかった孫三郎と十次の往復書簡が存在しているのだが、そこで十次より勧められた、中江兆民『一年有半』を早速岡山で購入して読み始めている孫三郎であった。読み終えていないものの、「なかなか感心」と評価しつつ、「受負仕事の学校の建築の様」で「大黒柱無いから何んだかあまり感心も出来ぬ」とある。また、林源十郎も一緒に読んでいるらしく、源十郎の評価には批判的な孫三郎であった。また福沢諭吉『新女大学』は批評を書きつつ読んでおり、帰岡後に十次に見せたいとある。信仰と真面目についての考察が記され、それを日誌と比較すると日誌の記述が優れており、日誌を勧めてもらったことへの感謝が述べられる。近付く帰岡を楽しみにしつつも、「花婿が早々飛出ると云ふ事も出来ない」と残念がる孫三郎であった。また、先日孤児院での演説会で話したことを伝え、他の登壇者が自分より声が大きいことに不満を感じている孫三郎であった。
展示史料㊳は、三連投の翌日に記されている。前日読み始めた『一年有半』を読了した孫三郎がその感想を伝えている。その上で、今後批評を書き加えることに加え、統計学を研究し、法律・政治を勉強する必要があると痛感し、今後、一日四時間以上の勉強をする「積り」と奮起する孫三郎である。
展示史料㊴は、「廿四五日御投函の御書面四通」(史料㉟~㊳)を拝見した十次の返信。『一年有半』への批評「大黒柱なし」を適評と評価している。『新女大学』への批評は帰院後拝見するとし、孤児院での演説会出席に感謝の意が伝えられている。書簡の後半は、福井における活動報告となっている。理由は記されていないが、源十郎に大阪から乗車して帰岡に同行するよう求めている。
史料㊴と同日付の展示史料㊵㊶㊷は、十次からの返信を待てずに発信した葉書である。冒頭、40枚もの封緘葉書購入が伝えられ、十次にとっては「御気の毒」となる枚数の葉書発信が宣言されている。十次の帰岡は5日後に予定されており、40枚の購入は、帰岡後もすぐには面談できないことを想定したものであろう。史料㊶には、十次の勧めで始めた日記の効用が述べられ、日記を読み返すことで自身の進歩を実感する孫三郎であった。史料㊷には、「倉敷に婦人の集りか出来る事」が伝えられ、「世中は奇みようなものてすねー」が孫三郎の感想であった。
最後の展示史料㊸は27日発の三連投(史料㊵~㊷)への返信である。孫三郎の結婚が近付く中、十次の内心では、3年前に夫と死別した孫三郎の姉の結婚を祈っている。また、日記の効能を実感してもらえたことを喜び、「我」を学ぶための最適の書物と助言している。倉敷に婦人の集会が出来ることに関し、初めが大切なのでよく注意しておくよう伝え、同時に原の姉上を孫三郎自身で教育することを勧めている。更に、孫三郎に勧めたいものとして、一つは毎朝旧約詩篇を一章静読すること、二つ目は国民新聞を購読することを挙げている。最後は、帰岡を目前にして孫三郎との快談を楽しみにしている十次であった。
