続 往復書簡を読む 中倉(二)
続 往復書簡を読む 中倉(二)
展示史料⑤は、十次からの日記を付けるようにとのアドバイスをいよいよ実行に移し、その効果を十二分に感じていることが記されている。また、「お虎」を菅家より譲り受けたとあるのは、先の岡山孤児院からの女中候補者の一人が決定しているようである。中段には、風俗人情に留意する必要があるとの海水浴に関する孫三郎の考えが披瀝されている。
翌日にはもう展示史料⑥を投函する孫三郎であった。突然岡山孤児院を訪問した孫三郎が偶々亡き品子夫人の記念会が開催されていた場に遭遇し参加している。更に二日後には「大食会」と講演会への出席予定となっている。また、家庭内教育テキストとして「新女大学」を取り上げることについて、十次の意見を求めている。更に、講演会での演題を「決心」とすることを伝えている。
孫三郎の一方的な発信は続き、更に翌13日には、展示史料⑦を出し、一家の「仕法」についての考えが記されている。そこでは、店員の改良は勿論、主人の改良も必須であることが強調されている。また、自身の婚姻に関して、孝四郎からは何も言われていないが、姉から10月23日挙式予定との話を聞いたことを伝え、この件は「極秘密」にするよう願っている(実際の結婚は11月2日)。
この孫三郎からの連投を受け、漸く展示史料⑨の十次返信が作成された。ここ数日、孫三郎からの書面が届かぬことを疑問に思っていたところ、一度に5通が到着したようである。史料⑥・⑦での家庭教育について「有益」と背中を押し、「とにかく主人を中心として毎朝一室ニ座する」ことが大事であるとする十次であった。また、⑥での来院への感謝や⑦の結婚式執行にも触れている。十次としては、「一日も早く御挙行あらん事を」と願っている。尚、孫三郎の5通連投期間中、十次は、新潟から長岡、柏崎へと進軍を続けていた。
展示史料⑩では、なかなか手紙をくれない十次に対し、切手十枚を送り、手紙を催促する孫三郎の姿を見ることができる。また、キリスト教徒ほどウヌボレの強い者はないとし、「信行」が篤いだの薄いだの言うことを批判している。同日の夜に投函された展示史料⑪は、前便での「信行」は「信仰」の誤りだと訂正するために送られたものである。信行と信仰の違いを渡辺氏に説明を受け「昨年より人物を上け」たと成長を評価すると共に、「右小供らしく真面目に訂正まて」と若者らしい清々しさも見受けられる。最後には、聖書通読の必要性を感じ、三度の通読を決心している。
この2通を受けた返信が展示史料⑫である。切手10枚を受け取った十次であるが、先の書簡に記した通り、葉書が届かなかったために返信しなかったのであって、切手不足ではないことを断っている。新潟・長岡・柏崎での好結果を報告した後、渡万君が人物を上げたとの評価に関連し、孫三郎の富山・金沢への来援を期待しつつ、「○○の準備」で忙しいかと心配している。この伏字は、史料⑦で通知された孫三郎の結婚について「極秘密」にするための十次の計らいであろう。キリスト教徒の自惚れに関しては、十次も同感らしく、かねてより「浅薄なる信者の多い」と感じていたことが記されている。但し、「ソー言フノモ亦タ自惚ナラン?」と自問しているところは十次の性格を表していよう。更に、「信行」と「信仰」については、「小生ハカネテヨリ信仰を信行ニカエタイト考ヘテ居ル」と訂正した孫三郎と全く反対の認識が述べられる。近来の所感「自己にてなしうべき事を決して人に頼むなかれ」を生涯貫徹すると誓った後、聖書通読の必要を感じた孫三郎に対し、「之れ小生がカネテヨリ希望せし事ニ御座候」と感激する十次であった。
展示史料⑬から⑮は、9月20日付の史料⑨を受け取って喜んだ孫三郎の3連投葉書である。18日と22日に感じたことを記しているのであるが、神が孫三郎をこの世に生まれさせた目的を「神様教を社会に実行さすべく」と理解し、「思想を与へられたる以上は其思想を実行すべく、生の責任である、社会之為に働べく責任である、生を大原へ生らさせ而し末子を相続人とならしめたのも確に意味のある事てある、又生の過去の乱行は社会に対して試験されたのてある、(略)生之責任弥々重くなつたと信します」と記されている。続けて、聖書の通読については、一日に20頁読んでいると報告し、「キリスト教の大眼目は馬太伝の五章より七章まてと考へられます」と伝えている。翌24日付の史料⑭では、家庭教育としての新女大学講義を始めたことが伝えられ、岡山孤児院を訪れたことや聖書を20頁読むのは用事がある日は困るものの、昼に読めない時は夜遅くなっても読むという実行主義実践中であると報告している。続く史料⑮では、聖書を読んで感じたことを実行する必要があるのであって、読んでも実行しないならば読まない方がよいとの決意が記されている。また、岡山孤児院の近況についても記されている。
展示史料⑯は、史料⑫を読んでの返信である。新潟・長岡・柏崎での好結果を喜び、「東北地方」へ行きたいが行けないとあるのは、恐らく北陸の誤り。他にもアメリカ大統領暗殺事件報道についての感想などが記される。
展示史料⑰は、史料⑬⑭⑮への返信。聖書以外のものでも実行しないなら読まない方がよいとの孫三郎の意見に同意を示し、孫三郎以外のルートからの情報として、結婚式が10月23日に決定したことを喜び、留守中の来院への感謝を記している。また、富山での活動において仏教側の反対を予期したものの、本願寺別院も賛成したことに驚いている。興味深いのは、所感として、聖書の翻訳に関し、「エホバ」を神ではなく仏と訳し、「キリスト」をアミダと訳した方が布教に有利との記述である。
展示史料⑱⑲は、史料⑰を受けての返信である。富山での本願寺の賛成を当然のことと評価し、所感については笑わないとし(十次の書簡中に笑わないでと記されていたから)、キリストも天父も名など何でもよいから教えを多くの人に紹介出来る事が第一としている。また、孫三郎の結婚式日程については、菅夫人あたりの誤情報と訂正し、父孝四郎が前日に深津で決めてきた日程は11月2日であり、「サワガレル」と困るので秘密にすることを求めている。また、聖書通読がヨハネ伝6章まで進んでいることを報告している。史料⑲にはこの頃の考えとして、「高き木に風は能く当る、ひくき木は風には当らされども木の下にてかるべし」と伝えている。聖書通読については日課として新約を2回読んでから旧約を読むと記した後、所感として一昨年の私でもなく、昨年の私でもなく、七月頃の私でもなく、昨日の私でもなく、今日の私も明日の私ではない、殊更に七月までの自分は今日の自分ではないと確信していると自身の変化を伝えているのは重要である。以前展示した明治35年元旦の日記の記述につながるものである。
9月30日付の史料⑱⑲への返信が展示史料⑳となる。冒頭、本部からの連絡よりも孫三郎の所感を拝読することが旅行中の楽しみになっていることが述べられ、⑲の高木風多しについて、金言であると評価し、益々根本(信仰)を培養することを願っている。続けて、一昨年・昨年・殊更7月までの自分ではないとの所感がヨハネ伝中の「永生命を与える」部分を引用し、キリストの永生に通ずると考えられるとの意見について、孫三郎の感想を求めている。注目に値する記述は、杉山岩三郎・坂本金弥の失脚により岡山市は中心人物を喪失しているとし、(「コレハ誰レニモ秘密」と注記しつつ)この大任を担えるのは、天に選ばれた孫三郎であると、孫三郎の将来を予見しているところである。
十次からの返信を待たず、発信されたのが展示史料㉑である。使徒行伝読書中に感想を思い付いた孫三郎であったが、後で記そうとしても忘れていたことから、今日の事は今日、今の事は今実行することを誓っている。また、林家で林孚一の遺書を目にして孚一の人物像を知る事ができるとし、「社会は形式にあらす、社交は実質より来るべきものでなくてはならぬ、上手のかよいのはあまり感心せぬ」との評価を源十郎には秘密にするよう記している。渡万君の新潟での好結果を受け、富山での活躍を期待している。追加情報として、留岡幸助の岡山での講演が毎日新聞紙上に掲載されていることを伝え、多分承知のことだろうから講演内容は省略し、留岡の考えは十次と同じであり、十次が岡山孤児院を留守にすることなく在院できるようにしたいと記されている。
展示史料㉒は、史料⑳の十次からの返信を受けての葉書である。まずは、十次からの永生に関する説への反応として、「御説之如く考へて居る」とし、加えて9月23日付の史料⑬で触れた「不死」に話を進め、今後の進歩を強調している。また、孫三郎が岡山財界の中心となることについて益々責任を重く感じているが、一方ではその覚悟をもっているようである。また、使徒行伝の感想に加え、家政改革として店に来訪記と日記を設置し、店員教育に努めていることが報告されている。間近に控えた結婚に関して思う所があるとして、過去の人生で婚約者とその両親を非常に心配させていること、特に普通に縁付くだけでも心配な上、自身の放蕩時代を強く反省している孫三郎であった。
展示史料㉓は史料㉑への返信である。今日の事は今日するとの所感に感服したとして、十次としては体が疲れると明日に延ばすことになり困っているとのこと。続けて、林孚一の人物評を源十郎に内証にするして、十次としては源十郎の人柄から孚一の人物像を推測できないかとしている。また、渡万君の奮闘振りを伝え、留岡幸助の講演記事は読んでいないものの、その意図が岡山孤児院を留守にしないとのことには賛同し、外部運動は本年で終え、来年一月からは基本金募集運動の計画を進めるとして、孫三郎にも協力を求めている。富山市での成果に加え、昨夜西本願寺の僧侶が所感演説をしてくれたことを未曾有の事と驚いたことが報告されている。
展示史料㉔㉕㉖は史料㉓への返信で、林源十郎から林孚一の人柄を知るとの説に同意を示し、本願寺の僧侶がキリスト教主義の孤児院のために所感演説したことを高く評価している。留岡幸助の講演要旨が、「孤児院は慈善事業ではなく慈善的教育事業であるため、院長不在は教育上不都合のため、基金募集への協力を求め、院長が在院できるようにせねばならない」、であり、基金募集に効果を期待している。㉓にて外部運動を本年で終えると知り、来年度基金活動を進めることを決意している。史料㉕には、羅馬書第八章を読んで、信仰によって健康を得るとの感想が述べられる。また、更に思う所として、以前、他の人に誤解されたかと勉めてその意味を明らかにしようとするのは自身の信仰が足りない結果であると考えていたが正にその通りであったとある。末尾には、大原家が実施していた貸資制度に関し、貸資希望者が「スね」て困っており、貸資開始の選定時における不注意を後悔していることが記されている。史料㉖では、最近意気が上がらず愉快にしゃべることができないため、林源十郎とは理想についての話をしなくなったことが相談されている。㉖は、㉕の末尾で「今日は之れまて」とあるのに更にもう一通差し出された葉書で、その末尾には、「之れで弥々止め」と締めくくられている。
1日3連投の史料㉔㉕㉖への返信が展示史料㉗である。孫三郎からの3連投に接し、愉快になる十次であった。留岡幸助の演説内容については、今夏留岡と会談した際の主旨であり、十次自身も来年からは在院して理想的教育を施すとし、基金募集についても「インスピレーシヨン」を得て成算が立ったので面会の際に詳細を述べるとある。次に、羅馬書第八章の所感に大いに同感している。また、他の人ヘの弁明は信仰不足との言葉については、信仰の徹底と評価している。貸資問題については実に大問題であり、十次自身も青年教育について思う所があるとのことで、「貸資問題ハ人物鑑定問題デスカラネー、併シ何事モヤリソコナツテ見ネバ分リマセヌヨ」と励ましている。史料㉖の最近意気が上がらない云々については、「乍併御書面は一回ハ一回ヨリ実際問題ニ切込んで参る様にて」、国民新聞の「東京だより」よりも「倉敷だより」を楽しみにしていると励ましている。また、「所感録」に日々の所感を記すことを勧め、自身も旅先故日記はつけられないものの所感録は日々記録しているとある。
